最初に核兵器を開発したのはアメリカで,1945年7月に核実験に成功し,その報告が会談に出席していたアメリカ大統領にあげられた。[ 2 ]は日本に対して原爆を使うことを決定し,広島・長崎に投下され,両市は壊滅した。しかし,アメリカによる核兵器独占は長く続かず,年にソ連が核実験に成功した。その後,52年にイギリス,60年にフランス,64年に,74年に,98年にがそれぞれ核実験に成功した。一方,水素爆弾(水爆)については,アメリカが52年,ソ連が53年に成功した。
1949年,ソ連が原爆を保有し,が成立,さらに50年に朝鮮戦争がおきたことで,アメリカ国内では反共アレルギーのヒステリー状態が生まれ,50年から(「赤狩り」旋風)が吹き荒れた。
カテゴリー別アーカイブ: 核兵器開発と軍備管理
VIII-45. 原水爆禁止運動
マーシャル諸島は,第一次世界大戦後に日本が委任統治領とし,第二次世界大戦後にアメリカが信託統治領として管理していた。その地にある環礁で,アメリカは1946年以降原水爆実験を繰り返した。54年に複数の日本漁船が被曝(ひばく)する事件が起きると,55年に広島で第1回が開催された。一方,イギリスの哲学者と,ドイツ生まれの物理学者は55年に核兵器廃絶を訴えた([ 4 ]・[ 5 ]宣言)。その宣言にもとづき,57年にカナダので「科学と国際問題に関する会議」が開催された。[ 6 ]以外の場所で開催された会議も含めて,科学者による核兵器禁止運動を[ 6 ]会議と呼ぶ。
VIII-46. 核拡散防止の動き(1)
1962年におきたで,米ソは核戦争勃発の可能性に直面した。米ソはその後歩み寄り,翌63年に米・英・ソ3国間でを締結した。この条約では,大気圏内外・水中における核実験を禁止したが,は禁止しなかった。60年に核実験に成功したばかりのと,まだ核実験に成功していなかった中国は[ 2 ]に調印しなかった。その後,中国は64年に核実験に成功した。
VIII-47. 核拡散防止の動き(2)
1968年に成立,70年に発効した条約(NPT)では,核兵器保有国を米・ソ連(現ロシア)・英・仏・中国の5か国に限定しようとした。しかし,条約未加盟国であるインド(74年核実験)・パキスタン(98年核実験)が核保有国となり,さらに未加盟国であるイスラエルも核を保有しているとみられている。また,北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は[ 1 ]条約調印国であるが,2度脱退を表明し,2006年に核実験を行った。1996年,あらゆる核実験を禁止することを定めた条約(CTBT)が国連総会で採択されたが,未だに発効していない。
VIII-48. 米ソ(露)の核兵器制限の動き
米ソ両国は,1969年から第1次(SALT I)を行い,72年に核兵器の現状凍結を規定する協定を結んだ。さらに戦略核兵器運搬手段の制限などに関して第2次[ 1 ](SALT II)が行われ,79年に条約が調印された。しかし,同年のソ連軍による進攻を受けて,アメリカ議会が批准せず,発効しなかった。87年,アメリカ大統領とソ連の書記長が,(INF)全廃条約に調印した。米ソは,SALTに替わる交渉を続け,91年に第1次[ 6 ]条約(START I)に調印した。91年にソ連が解体したのち,93年に米露両国は第2次[ 6 ]条約(START II)に調印した。