1953年に大統領に就任した共和党のは「巻き返し政策」という対ソ強行路線を基本としつつ,の休戦や4巨頭会談の参加など,緊張緩和も図った。61年に就任した民主党の大統領は政策を掲げて国内改革を進めようとした。62年のではソ連のミサイルを撤去させることに成功したが,63年に暗殺された。副大統領から昇格した大統領は,貧困の解消などをめざす「」計画を提唱した。黒人指導者らによる黒人差別撤廃運動()の拡大もあり,[ 7 ]大統領は選挙や公共施設における人種差別を禁止するを64年に成立させた。しかし,65年からのへの本格的軍事介入に対して国内で[ 12 ]反戦運動が爆発的に広まり,[ 7 ]大統領は再選を断念した。
[ 4 ]大統領は,アイルランド系であり,史上初のカトリック教徒の大統領である。
カテゴリー別アーカイブ: 第二次世界大戦後のアメリカとラテンアメリカ
VIII-24. 第二次大戦後のアメリカ大統領(2)
ベトナム戦争の戦費や社会保障費の増大によってドルの信用が低下したため,1969年に就任したの大統領は,71年にドルと金との交換を停止した()。[ 2 ]大統領は国際関係を整えつつ(参照VIII-19),73年にを結び,ベトナムから米軍を撤退させた。しかし,72年の大統領選挙時における民主党に対する盗聴事件(事件)に関与していたことが発覚して,74年に辞任した。77年に就任したの大統領は,「人権外交」を唱えて,99年にパナマ運河を返還する新条約に調印し,79年に正式に中国と国交を正常化させた。しかし,79年におきた革命やソ連の侵攻への対応が弱腰外交との攻撃を受け,再選されなかった。
VIII-25. 第二次大戦後のアメリカ大統領(3)
1981年に就任したの大統領は,「」を掲げ,ソ連に対抗する軍備拡張を進めて「新冷戦」を戦った。経済政策の面では,政府の経済への介入を少なくして市場の自由競争によって経済を発展させようとするの立場に立った。しかし,財政赤字と貿易赤字の「双子の赤字」が深刻化し,85年には各国の協調介入によるドル高是正が合意された(プラザ合意)。
国家が経済に介入して福祉などの国民生活に関わる「大きな政府」に対し,[ 4 ]は政府の役割を制限する「小さな政府」の立場に立つ。アメリカの[ 2 ]大統領やイギリスの首相が推進した。
VIII-26. 第二次大戦後のアメリカ大統領(4)
1989年に就任したの大統領は,ソ連の書記長と89年に首脳会談を開き,冷戦の終結を宣言した(会談)。また,イラクによる侵攻を背景に起きた91年のでも成功を収めるなど外交面では手腕を発揮した。しかし,経済の停滞が続き,2期目の選挙でのに敗れた。[ 8 ]大統領は,1993年にPLOの議長とイスラエルの首相を仲介し,(オスロ合意)を成立させた。また,[ 8 ]大統領のもと94年に,アメリカ・カナダ・メキシコ間で結ばれた,自由貿易をめざす(NAFTA)が発効した。
VIII-27. 第二次大戦後のアメリカ大統領(5)
2001年に就任したの大統領は,2001年にによる同時多発テロ事件がおこると,[ 3 ]をかくまっていた政権を倒すためにを攻撃した。さらに,2003年,イラクの政権が大量破壊兵器を保持し,国際テロ組織と結びついているとして,イギリスとともにイラクを攻撃して,[ 6 ]政権を倒した。2009年,出身で,アメリカ史上初のアフリカ系の大統領が就任した。
VIII-28. 第二次大戦後のラテンアメリカ(1)
ラテンアメリカ諸国は,第二次大戦後も,アメリカの政治的・経済的支配下に置かれ,貧富の差が大きかったため社会変革を求める労働者らの声が高まった。1930年に大統領に就任して独裁体制を敷いたブラジルのヴァルガスは45年にクーデタで失脚したが,51年に大統領に返り咲き,労働者の支持を受けつつ石油公社の創設など民族主義的政策を行った。46年に大統領に選出されたアルゼンチンのは独裁政治を行い,反米的政策をとり,工業・銀行・鉄道の国有化を図った。51年に誕生した左翼政権は土地改革を行ったが,54年にアメリカに支援された軍部クーデタで倒された。チリでは,70年にが大統領となり,世界で初めて民主的選挙によって社会主義政権を建てた。しかし,73年にアメリカの支援を受けた軍部クーデタにより[ 3 ]政権は倒され,ピノチェトが大統領となった。
VIII-29. 第二次大戦後のラテンアメリカ(2)
キューバでは,による親米的な独裁政権が続いていたが,1959年にが指導する革命がおき,[ 1 ]政権は倒された。[ 2 ]政権は当初,社会主義路線はとっていなかった。しかし,小作人に土地を分配する土地改革を実施し,アメリカ系企業を国有化すると,61年にアメリカは国交を断絶して,亡命キューバ人を支援して政権の転覆をはかった。これに対し,[ 2 ]政権は社会主義宣言を発表してソ連寄りの姿勢を強めた。62年に,ソ連がキューバにミサイル基地を建設すると,アメリカは撤去を求めて海上封鎖して緊張が高まった(キューバ危機)。最終的にソ連が譲歩して,核戦争の危機は回避された。
2015年にアメリカの政権はキューバとの国交を回復した。