第二次世界大戦終結後,連合国は枢軸国を軍事占領して戦後処理を実施した。連合国は,ドイツと日本の指導者をで裁いた。ドイツでは[ 1 ],日本では(極東[ 1 ])で敗戦国の指導者が処罰された。連合国は1947年,旧枢軸国であったイタリア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・フィンランドとを結んだが,ドイツ・オーストリア,日本については占領統治が継続された。ドイツは米・英・仏・ソ4か国によるのもとに置かれ,ソ連管理地区にあった首都ベルリンも4か国で[ 5 ]された。オーストリアも4か国で[ 5 ]され,1955年に中立国として独立した。日本はアメリカ中心の連合国軍により占領され,の指示のもと,軍隊の解散,日本国憲法の制定や財閥解体などの改革が断行された。
カテゴリー別アーカイブ: 8.冷戦と第二次世界大戦後の世界
VIII-2. 国際連合(1)
国際連合の構想は,アメリカ大統領とイギリス首相による1941年のに端を発する。43年のモスクワ宣言で新たな国際組織設立をうたい,44年に会議で国際連合憲章の草案がまとまった。1945年4~5月,連合国50か国が参加した会議で国際連合憲章が採択され,10月に51か国を原加盟国として国際連合が発足した。
[ 5 ]会議の開催時期に注意。ドイツが降伏したのは45年5月,日本が降伏文書に署名したのは9月である。国際連合(United Nations)は戦勝国が創設したもので,日本・ドイツなどの旧敵国は差別的に取り扱うとする敵国条項が国際連合憲章には存在する。
VIII-3. 国際連合(2)
国際連合は本部をアメリカのに置いた。全加盟国で構成されるは,あらゆる問題を討議して決議することができるが,その決議は加盟国などへの勧告の形をとり,拘束力・強制力はもたない。国際連盟が第二次世界大戦の勃発を阻止できなかった反省から,主要国間の協調が重視され,[ 2 ]に優越するが設置された。[ 3 ]は軍事的制裁を含む強大な権限を持っており,アメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中国の5大国からなるには1国の反対で議決を阻止できるが与えられている。
中国の代表権は,1971年に中華民国から中華人民共和国へ変更された。また,91年にソ連が崩壊するとロシアへ変更された。
VIII-4. 国際連合(3)
国際連合には,経済・社会・文化などの国際的問題を研究・勧告するやオランダのハーグにあるなどの主要機関が設置されたほか,(国際連合教育科学文化機関)や(ILO)・(WHO)などの専門機関がもうけられている。1948年の第3回総会であらゆる国家・国民の基本的人権についての目標を示したが採択されたが,法的拘束力はもっていない。
[ 2 ]の前身は,国際連盟のもとに設立された常設国際司法裁判所である。
VIII-5. アメリカ主導の国際経済秩序
第二次世界大戦終了時,アメリカは唯一の核保有国であり,世界の鉱工業生産の6割以上,世界の金の約7割を保有して経済的覇権を握った。アメリカ主導の国際経済秩序は3つの柱からなる。国連専門機関として1945年に設立された(IMF)と(IBRD,世界銀行),そして貿易上の障壁をなくそうとする「」(GATT,ガット)である。金と交換可能な唯一の通貨であるアメリカのドルがとされ,各国通貨とドルの交換比率が固定化された。こうして経済的覇権は,第二次世界大戦前のイギリスからアメリカに完全に移行した。
(1)第二次世界大戦後の国際経済秩序を,[ 1 ]と[ 2 ]の創設会議が開かれた地名にちなみ,体制と呼ぶ。(2)[ 3 ](GATT,ガット)を受け継いで,1995年に(WTO)が発足した。
VIII-6. ソ連による社会主義陣営の形成
第二次世界大戦中にソ連の軍事力によってナチス=ドイツから解放されたポーランド,ハンガリー,ルーマニア,ブルガリアでは,ソ連軍の占領下で事実上の共産党一党独裁体制が確立された。一方,闘争でナチスの支配を脱したとアルバニアでも社会主義国家が樹立された。では共産党を含む連立政権が成立したが,1948年に共産党がクーデタを起こして政権を奪取した([ 3 ]=クーデタ)。こうして東欧には社会主義陣営が形成されたが,政権を失っていたチャーチルは1946年,バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで「」が降ろされていると非難した。
冷戦が進行するなか,ソ連の衛星国となった東欧諸国は自らの政治体制のことを人民民主主義と呼んだ。
VIII-7. 第二次世界大戦直後の西欧諸国
イギリスでは,1945年7月の選挙でが圧勝して,チャーチルにかわってが首相となった。[ 2 ]政権は,重要産業の国有化をすすめるとともに,「ゆりかごから墓場まで」といわれた社会福祉制度の充実を図った。外交政策では,47年にインド・パキスタンの独立を認めるとともに,パレスチナ委任統治権を放棄した。1937年にイギリス連邦を事実上脱退していたは,49年にイギリス連邦から完全に離脱した(参照:VII-15)。フランスでは,46年にによる臨時政府にかわってが発足したが,インドシナ・の独立運動に対応できず,58年に崩壊した。イタリアでは,46年に国民投票で王政が廃止されてとなった。
VIII-8. 冷戦
第二次世界大戦末期から年の会談にいたるまで,アメリカを中心とする自由主義(資本主義)陣営(西側)とソ連を中心とする共産主義(社会主義)陣営(東側)が対立した。この対立は,直接の軍事衝突をともなわなかったことから「冷戦Cold War」と呼ばれる。冷戦は通常,46年から47年にかけて始まったとされるが,55年の米英仏ソ首脳による,63年の米英ソによる,72年の米ソによる(第1次SALT)の時点では米ソの対立が一時的にゆるんだ。80年代初頭に「新冷戦」が始まったとされるが,[ 1 ]年に東欧の共産党支配体制が崩壊し,91年のソ連崩壊で西側の勝利に終わった。
(1)70年代に米ソ間の対立が緩んだことを(デタント)という。(2)45年2月に行われた会談で戦後の国際体制について話し合われたので,[ 7 ]会談から冷戦が始まったとする見方があり,「[ 7 ]から[ 2 ]まで」という言葉もある。
VIII-9. 冷戦の始まり
年,アメリカ大統領は,内戦状態にあったと,ソ連と対峙していたトルコに対して軍事・経済援助を行って共産主義化を阻止すると宣言した([ 2 ]=ドクトリン)。これは共産主義勢力に対する「」の始まりであった。同年,アメリカ国務長官がヨーロッパの復興のため(ヨーロッパ経済復興援助計画)を発表し,西欧諸国はこれを受け入れるためにヨーロッパ経済協力機構(OEEC)を設立した。ソ連は,[ 5 ]によってアメリカの影響が東欧諸国に及ぶことを警戒して,同年,(共産党情報局)を結成して対抗した。
(1)ヨーロッパ経済協力機構(OEEC)は61年に経済協力開発機構(OECD)に改組された。(2)が率いるパルチザン闘争によって自力でナチス=ドイツからの解放に成功したユーゴスラヴィアは,ソ連とは異なる自立的な路線をとったため,48年に[ 6 ]から除名された。
VIII-10. ヨーロッパの分断(1)
1948年のクーデタによりに共産党政権が樹立されると,これに危機感を抱いた英・仏・(ベルギー・オランダ・ルクセンブルク)の西側5か国は(ブリュッセル条約)を締結し,共産主義勢力の拡大を阻止しようとした。翌49年,アメリカを含めた西側12か国が東側に対抗する軍事同盟であるを結成した。ソ連は,49年,東側の経済協力機構として(経済相互援助会議)を組織した。54年,(西ドイツ)の再軍備と[ 4 ]加盟を承認したが結ばれたが,これに対抗してソ連は55年に東欧7か国と東ヨーロッパ相互援助条約を結び,軍事同盟であるを発足させた。
54年の[ 7 ]でドイツ・イタリアの[ 3 ]への参加が認められ,西ヨーロッパ連合(WEU)へと改組された。