第二次世界大戦中の1943年に行われたで戦後の独立が了承されていた朝鮮は,日本の敗戦の結果,日本による統治から解放された。独立政府を求めるいくつかの動きも見られたが,1945年,を境に南にアメリカ軍,北にソ連軍が進駐して朝鮮は分割占領され,5年間は米英中ソ4カ国による信託統治下のもと独立国家建設の準備を進めることとされた。しかし,冷戦の進行にともなって米ソ対立が激化した結果,年,南部にを大統領とする(韓国),北部にを首相(72年以降主席)とする(北朝鮮)が成立して,朝鮮は南北に分裂した。
ドイツが,西のと,東のに分裂したのは年のことである(参照:VIII-11)。
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XII-63. 朝鮮戦争
1948年,を境に,朝鮮半島南部に,北部に(北朝鮮)が成立した。年,北朝鮮軍が統一をめざして突如境界線である[ 1 ]度線を越えて[ 2 ]へ侵攻し,半島の南端に迫った。国連のは,中国代表権問題でソ連が欠席するなか,北朝鮮による侵略であると断定してアメリカ軍を中心とする国連軍の派遣を決定した。国連軍が中国国境に迫ると,中華人民共和国が北朝鮮を支援してを派遣した。その後,[ 1 ]付近で戦局が膠着し,年にが成立し,[ 1 ]を軍事境界線として朝鮮半島の分断が固定化した。
(1)国連軍派遣が決定された際,ソ連は,中華民国(台湾)と中華人民共和国をめぐる中国代表権問題で,[ 5 ]をボイコットしていた。(2)韓国は休戦に反対したため,[ 8 ]に調印したのは国連軍を代表とするアメリカ,北朝鮮,中華人民共和国の3者である。
XII-64. 朝鮮戦争が日本に与えた影響(1)
戦後,日本はアメリカを中心とする連合国軍総司令部(GHQ)による占領の下に置かれたが,当初アメリカは日本の民主化と非武装化を進めていた。しかし,冷戦が進むなか朝鮮半島が分断され,中華人民共和国が成立すると,アメリカは日本を反共産主義陣営の一員とする政策に転じた。朝鮮戦争が勃発すると,日本はアメリカ軍に軍需物資を提供し(),日本には好景気がもたらされた。その結果,日本にとって朝鮮戦争は,戦後復興のきっかけとなった。また,日本の治安維持と防衛のため,連合国軍総司令部(GHQ)の最高司令官マッカーサーの要請を受けて1950年にが発足し,これが52年に保安隊,54年にとなった。
XII-65. 朝鮮戦争が日本に与えた影響(2)
朝鮮戦争が勃発したことでアメリカは日本との講和を急いだ。1951年,日本は,社会主義国やインドなど一部のアジア諸国が参加しないなか,米英など48カ国と講和条約(平和条約)を締結して独立を回復し,朝鮮・台湾・南樺太・千島列島を正式に放棄した。同時に,日本はを結び,アメリカ軍の駐留を認め,アメリカが日本の防衛義務を負うこととなった。これにより日本は,冷戦下,アメリカを中心とする自由主義陣営の一員となった。
(1)アメリカは[ 1 ]講和会議に中華民国のみを招待しようとしたが,中華人民共和国を承認していたイギリスが中華人民共和国の参加も主張したため,どちらとも招待されなかった。(2)日本の領土は,ポツダム宣言に基づいて,本州・北海道・九州・四国とその周辺の島々に限られた。終戦間際にソ連が占領した歯舞・色丹・国後・択捉の北方4島は,現在もロシアが占領し続けている。(3)[ 1 ]講和条約後も,奄美,小笠原,沖縄はアメリカの施政権下に置かれ,奄美は1953年,小笠原は68年,沖縄は年に日本に復帰した。
XII-66. 日本とソ連との関係
ソ連は1951年に開催された講和会議には参加したが,講和条件に反対して講和条約には調印しなかった。56年,日本はに調印し,ソ連と国交を回復した。[ 2 ]ではソ連が日本の国連加盟を支持することがうたわれており,同年日本の国連への加盟が認められ,日本は国際社会に復帰した。
[ 2 ]では,日本とソ連が将来平和条約を締結したのちに,北方4島のうち歯舞・色丹2島の日本への返還を約していた。しかし,平和条約は未だ締結されておらず,北方4島はソ連崩壊後もロシアが占領したままになっている。
XII-67. 韓国の動向(1)
大韓民国(韓国)の初代大統領は独裁的な反共親米政策をとっていたが,学生を中心とする民主化運動が高まり1960年に辞任した。翌61年に軍事クーデタで政権を掌握したは,経済開発を名目に強権的な独裁体制を維持するを行った。[ 2 ]は,65年に韓国内の反対を押し切ってを締結して日本との国交を樹立するとともに,日本からの莫大な経済援助を得た。また[ 2 ]は,外資を導入して輸出工業の育成を図った結果,韓国は70年代に経済発展を遂げ,(NIES)の一員となった。79年に[ 2 ]が部下によって暗殺されると,軍部によって戒厳令が敷かれた。80年に韓国南西部の市で学生や労働者による民主化を要求する運動が起きたが([ 6 ]事件),軍部によって弾圧され,軍人の全斗煥(チョンドゥホアン)が大統領になり,[ 3 ]を継続した。
(1)[ 5 ]は1970年代に急速に経済成長を遂げた国や地域を指すが,韓国のほかに,香港・台湾・シンガポール・ブラジル・メキシコ・アルゼンチンなどが含まれる。(2)1998年に大統領となるは,[ 6 ]事件の首謀者とされて死刑判決を受けたが,国際世論の批判を受けのちに減刑され,釈放された。
XII-68. 韓国の動向(2)
1980年に起きたを弾圧して大統領となった全斗煥(チョンドゥホアン)が退陣すると,軍出身の盧泰愚(ノテウ)が民主化を掲げ,大統領選挙で大統領に当選した。盧泰愚は,1988年にソウル=オリンピックを開催し,90年にソ連と,92年には中国と国交を回復した。また,盧泰愚のもと91年に,南北朝鮮は国連に同時加盟した。93年には,文民政権である政権が成立し,98年にそれをついだ政権は北朝鮮に対話を呼びかける太陽政策を行って2000年に北朝鮮のとピョンヤンで南北首脳会談を実施した。盧武鉉(ノムヒョン),李明博(イミョンバク)のあとを受け,2013年に朴正煕(パクチョンヒ)元大統領の娘,朴槿恵(パククネ)が大統領となった。朴槿恵は不祥事の責任を追及され、弾劾が成立して2017年に罷免された。それを受け、2017年に文在寅(ムンジェイン)が大統領になった。
XII-69. 北朝鮮の動向
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)初代首相は朝鮮戦争を戦ったのち,政治・経済・軍事の自立・自主を掲げる主体(チュチェ)思想を確立し,72年に主席となった。94年に[ 1 ]が死去すると,息子のが権力を継承し,朝鮮労働党総書記の地位についた。[ 2 ]は核兵器開発を進め,国際連合軍として韓国に駐留するアメリカ軍との対立を深めた。2011年に[ 2 ]が死去すると,息子のが権力を継承し,核兵器開発とともに,ミサイル開発を進め,アメリカや韓国・日本と対立している。また,北朝鮮は100人を超えるといわれる日本人を拉致したままで,核・ミサイル開発とともに,日朝間の大きな問題となっている。