VIII-15. 「雪どけ」

1953年に [ 1.スターリン ] が死去すると,ソ連は西側との協調へ外交政策を転換した。55年にインドネシアの [ 2.バンドン ] [ 3.アジア=アフリカ会議 ] が開催されると,それに対応して同年に米・英・仏・ソの首脳が [ 4.ジュネーヴ4巨頭会談 ] を開催した。56年にソ連共産党 [ 5.第20回 ] 大会で [ 6.フルシチョフ ] 第一書記が[ 1 ]批判を行うとともに,西側との [ 7.平和共存 ] 政策を提唱し, [ 8.コミンフォルム ] (共産党情報局)を解散した。59年,[ 6 ]が訪米し, [ 9.アイゼンハウアー(アイゼンハワー) ] 大統領と会談した。この緊張緩和を,ソ連で出版された小説の名にちなみ「 [ 10.雪どけ ] 」と呼ぶ。
check_icon6[ 1 ]批判はポーランドと [ 11.ハンガリー ] での自由化運動を引き起こし,[ 11 ]に対してはソ連軍が軍事介入した。また,[ 1 ]批判は中ソ論争のきっかけとなった。