1960年,ソ連がアメリカの偵察機U2型機をソ連上空で撃墜し,米・ソは再び緊張関係に入った。東ドイツで農業の集団化が推進されると,東から西側に脱出する人々が急増したため,東ドイツ政府は61年に西[ 1 ]との境界線に壁を築いた([ 1 ]の壁)。62年,ソ連がにミサイル基地を建設すると,アメリカ大統領は撤去を求めて[ 2 ]を海上封鎖し,米ソによる核戦争の危機が発生した([ 2 ]危機)。最終的にソ連が譲歩し,ミサイル基地を撤去する合意が成立した結果,核戦争の勃発は回避された。それ以後,米ソは再び緊張緩和の方向に転じ,63年に米・英・ソ3国間でが締結された。
60年に核実験に成功したばかりのフランスと,まだ核実験に成功していなかった中国は[ 4 ]に調印しなかった。その後,中国は64年に核実験に成功した。