1937年に始まったの長期化で国力を消耗していた日本は,南方への進出を図り,フランスがドイツに降伏すると,40年9月に北部に進駐した。41年4月にを結んで北方の安全を確保したのち,7月には[ 2 ]南部にも進駐した。この南進政策はイギリス・アメリカ・オランダの利害と衝突した。41年4月から始まった日米交渉では,日独伊三国同盟や日本軍の中国からの撤兵などが話し合われたが,双方の見解の差は大きく交渉は難航した。日本が行った[ 2 ]南部進駐に対して,アメリカは石油の対日輸出停止などの強硬な対抗措置をとった。その後も日米交渉はまとまらず,1941年12月8日に日本軍がハワイのを奇襲するとともに,イギリス領マレーに上陸して,が始まった。三国同盟により,ドイツ・イタリアもアメリカに宣戦したので,戦争は日独伊を中心とするとアメリカを中心とするの戦いとなった。
(1)太平洋戦争前に対日包囲網を築いたアメリカ・イギリス・中国・オランダを日本では「ABCDライン」と呼んだ。(2)「[ 5 ]」とはアメリカ側の呼称。日本では,日中戦争も合わせて「大東亜戦争」と呼んだ。