IX-20. 前漢の統治体制

[ 1.項羽 ] を倒した劉邦は前202年に皇帝の位につき( [ 2.高祖 ] ), [ 3.長安 ] (現在の西安)を都として漢(前漢)を建てた。直後,[ 2 ]は北方の騎馬遊牧民 [ 4.匈奴 ] [ 5.冒頓単于(ぼくとつぜんう) ] に大敗し,以後70年間にわたって[ 4 ]に貢納を支払い,事実上従属下に置かれた。[ 2 ]は,秦が急激な改革によって滅んだことを教訓として,秦が行った [ 6.郡県制 ] と封建制を併用する [ 7.郡国制 ] を採用した。しかしその後,漢王朝が諸侯権力の削減を図ったことに対し, [ 8.前154 ] 年に [ 9.呉楚七国の乱 ] がおきたが鎮圧された。その結果,第7代 [ 10.武帝 ] のときに実質的に[ 6 ]とかわらない中央集権体制が成立した。