年に始まった戦争(第2次アヘン戦争)中の1858年に清は,イギリス・フランス・ロシア・アメリカと条約を締結した。[ 3 ]条約で清は以下のことを認めた。(1)英仏への賠償金の支払い。(2)の北京駐在を認め,[ 4 ]は朝貢使節ではないことを確認。(3)漢口など10港を開港。(4)開港場以外でも商売が出来るようにするため,外国人のの自由。(5)中国人の信仰の自由と内地における。(6)アヘン貿易を公認。しかし,条約に反対する勢力が英仏との批准を阻止しようとしたため再び英仏が軍事行動を起こし,1860年にロシアの仲介により条約が結ばれた。清は[ 3 ]条約の内容を確認した上,[ 7 ]条約で以下のことを認めた。(1)賠償金の増額。(2)[ 3 ]の開港を追加。合わせて11港開港。(3)香港島対岸のの英への割譲。なお,仲介したロシアとは露清間の[ 7 ]条約を結び,ロシアはウスリー川以東のを獲得した。アロー戦争に敗北して,朝貢関係ではない,対等な外交関係を求められた清朝は,北京に駐在する[ 4 ]に対する窓口としてを設置した。