8世紀に唐の体制は大きく転換する。商業が発達してくると,農民の間に貧富の差が広まった。また,租庸調や兵役の負担は農民を苦しめた。さらに,慢性的に口分田が不足していたため,が8世紀にゆきづまり,没落して逃亡する農民が増加した。彼らは貴族などの大土地所有者が経営するを耕作する(小作人)となった。こうして[ 1 ]がくずれていくと,以来行われていた均田農民に軍役を課すが維持できなくなり,傭兵を用いるが採用された。その指揮官をという。8世紀初めの設置当初は,[ 7 ]は辺境の防衛に当たっていた。しかし,755~763年の後は内地にも置かれるようになり,[ 7 ]は軍事だけでなく,地方の行政・財政の権限をも握ってと呼ばれる独立勢力となっていった。財政再建のために,租庸調制に代わって,原住地で所有している土地・財産に応じて夏・秋2回課税するを780年に宰相が採用した。