XII-57. 韓国併合

日本は,日露戦争中の1904年に日本人の財政と外交の顧問をおくことなどを大韓帝国(韓国)に認めさせた第1次 [ 1.日韓協約 ] を結んだ。日露戦争の講和 [ 2.ポーツマス条約 ] で日本は韓国における優越権をロシアに認めさせ,同年05年の第2次[ 1 ]で韓国の外交権を奪って保護国化し, [ 3.伊藤博文 ] を初代の韓国 [ 4.統監 ] として派遣した。これに対し韓国は,1907年に皇帝の [ 5.高宗 ] がオランダの [ 6.ハーグ ] で開催されていた万国平和会議に使節を派遣して,第2次[ 1 ]の無効を訴えようとしたが失敗した([ 6 ]密使事件)。これに対し,日本は[ 5 ]を退位させ,第3次[ 1 ]で韓国政府はすべてにおいて[ 4 ]の指導を受けることとし,韓国軍隊を解散させた。韓国では,日本に武力で抵抗する [ 7.義兵闘争 ] や,教育によって救国をめざす愛国啓蒙運動がおこった。そのようななか,1909年にハルビンで[ 3 ]が [ 8.安重根 ] によって暗殺されると,日本は [ 9.1910 ] 年に韓国を併合した。日本はソウル(京城)に [ 10.朝鮮総督府 ] を置いて, [ 11.武断政治 ] と呼ばれる強圧的な統治を行った。