XII-11. 太平天国の乱

アヘン戦争の出費と賠償金支払いをまかなうために課された重税は民衆の生活を困窮に追いやり,折からの天災も重なり,地方の治安が悪化した。このようななか,キリスト教の影響を受け,ヤハウェの子,すなわちイエスの弟を名乗る [ 1.洪秀全 ] が広西省で [ 2.拝上帝会(上帝会) ] を組織し, [ 3.1851 ] 年に広西省金田村で挙兵して [ 4.太平天国 ] を建てた。この運動は貧困からの救済を求める民衆を巻き込んで広まり,53年には [ 5.南京 ] を占領してここを首都と定め, [ 6.天京 ] と改称した。「 [ 7.滅満興漢 ] 」を掲げた[ 4 ]は,清朝を倒して漢人の国家を樹立するとすることをめざした。満州人の風習である [ 8.辮髪(べんぱつ) ] を拒んだため,「長髪族」と呼ばれた[ 4 ]は,男女に土地を均分するという土地制度である [ 9.天朝田畝制度 ] を掲げる(実施はされなかった)とともに,女性を動員する目的から,女性の足を変形させて小さく見せる風習である [ 10.纏足(てんそく) ] を廃止した。
check_icon6(1)[ 1 ]は,4世紀の五胡の侵入で混乱した華北を逃れて南方に移住した人々の集団である [ 11.客家(はっか) ] 出身である。孫文や鄧小平らも,[ 11 ]出身である。(2)[ 4 ]は,1851~64年まで続くが,51~64のところはゴロで,「恋しい天国を無視」と覚えよう。反乱が続いていた期間中にあたる1856~60年に [ 12.アロー ] 戦争がおきたことに注意。[ 4 ]に対し,英・仏・米は当初は中立政策をとっていたが,[ 12 ]戦争終結後には清朝擁護へと転じた。