アヘン戦争でのイギリスの勝利に刺激されたロシアのは,1847年にを設置し,初代総督としてを任命した。清がの乱や戦争で苦しんでいるのに乗じ,1858年に[ 3 ]は条約を結び,(アムール川)以北を獲得した。ついで60年,[ 5 ]戦争の調停の見返りとして露清間の条約を結び,ロシアはウスリー川以東のを獲得した。[ 3 ]は[ 9 ]にを建設して極東・太平洋進出の拠点とした。また,ロシアは,(東トルキスタン)における清に対するイスラーム教徒の反乱を機に,地方に出兵し,[ 12 ]を占領した([ 12 ]事件)。1881年,ロシアと清との間で[ 12 ]条約が結ばれ,ロシアは[ 11 ]における通商権を獲得した上で,[ 12 ]を清に返還した。さらにロシアは,19世紀後半,中央アジアに進出し,ウズベク人の・ヒヴァ=ハン国を保護国とし,を併合した。中央アジア進出は,アフガニスタンに勢力を伸ばしていたイギリスとの間に緊張を生むこととなった。
[ 10 ]とは,「東方を支配せよ」という意味で,19世紀後半に日本はロシアの圧力を受けることになった。これは,日露戦争に発展する。