XII-10. ロシアの東方進出(2)

アヘン戦争でのイギリスの勝利に刺激されたロシアの [ 1.ニコライ1世 ] は,1847年に [ 2.東シベリア総督 ] を設置し,初代総督として [ 3.ムラヴィヨフ ] を任命した。清が [ 4.太平天国 ] の乱や [ 5.アロー ] 戦争で苦しんでいるのに乗じ,1858年に[ 3 ]は [ 6.アイグン ] 条約を結び, [ 7.黒竜江 ] (アムール川)以北を獲得した。ついで60年,[ 5 ]戦争の調停の見返りとして露清間の [ 8.北京 ] 条約を結び,ロシアはウスリー川以東の [ 9.沿海州 ] を獲得した。[ 3 ]は[ 9 ]に [ 10.ウラジヴォストーク ] を建設して極東・太平洋進出の拠点とした。また,ロシアは, [ 11.新疆(しんきょう) ] (東トルキスタン)における清に対するイスラーム教徒の反乱を機に, [ 12.イリ ] 地方に出兵し,[ 12 ]を占領した([ 12 ]事件)。1881年,ロシアと清との間で[ 12 ]条約が結ばれ,ロシアは[ 11 ]における通商権を獲得した上で,[ 12 ]を清に返還した。さらにロシアは,19世紀後半,中央アジアに進出し,ウズベク人の [ 13.ブハラ=ハン国 ] ・ヒヴァ=ハン国を保護国とし, [ 14.コーカンド=ハン国 ] を併合した。中央アジア進出は,アフガニスタンに勢力を伸ばしていたイギリスとの間に緊張を生むこととなった。
check_icon6[ 10 ]とは,「東方を支配せよ」という意味で,19世紀後半に日本はロシアの圧力を受けることになった。これは,日露戦争に発展する。