VII-27. ソ連の社会主義建設
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ソ連では,1924年にレーニンが死ぬと後継者争いがおこった。共産党書記長の[ 1. ]はロシア一国だけで社会主義を建設できるとする[ 2. ]を唱え,世界革命論を唱える[ 3. ]を追放して実権を握った。28年,[ 1 ]は21年から行っていた[ 4. ](新経済政策)にかわって社会主義経済建設をめざす[ 5. ]を開始し,重工業化の推進と,[ 6. ](集団農場)や[ 7. ](国営農場)による強制的な農業の集団化を推し進めた。29年から始まった世界恐慌のなかで資本主義国の生産は後退したが,資本主義経済から孤立していたソ連は世界恐慌発生後も順調に工業生産を伸ばし,30年代後半にはアメリカに次ぐ工業国となった。しかしそのかげで,[ 1 ]は集団化で数百万の農民を餓死させ,さらに反対派を大量に処刑したり強制収容所に送る[ 8. ]を行って独裁をすすめた。
第一次世界大戦後に国際的に孤立していたドイツは,1922年にソヴィエト政権と[ 9. ]条約を結んで国交を樹立した。イギリスは,1924年に[ 10. ]労働党内閣のもとでソ連を承認した。アメリカは,1933年に[ 11. ]大統領のもとでソ連を承認した。