XI-16. ムガル帝国の最盛期と分裂
0 / 8 件の答えを表示中
ムガル帝国は,第6代[ 1. ]のときに最盛期を迎えた。[ 1 ]はデカンの平定に力を注ぎ,一時的であれ,一部を除き南インドにまで領土を広げ,最大版図を形成した。厳格なスンナ派イスラーム教徒であった[ 1 ]は,ヒンドゥー教寺院を破壊し,非イスラーム教徒に課す[ 2. ](人頭税)を復活させた。これに対し,各地で抵抗が起きた。インド西部の居住していた,古代クシャトリヤの子孫を自称したラージプートがアウラングゼーブの政策に激しく抵抗した。また,デカン高原に[ 3. ]が建てたヒンドゥー勢力の[ 4. ]王国が抵抗し,西北インドでは[ 5. ]教徒が反乱を起こした。一方,地方では[ 6. ]と呼ばれる領主層が台頭してきた。1707年に[ 1 ]が死ぬとムガル帝国は解体に向かい,各地に独立政権が生まれた。ムガル帝国は[ 1 ]死去後も名目的存在として存続したが,1857年に起きた[ 7. ]の乱(インド大反乱)をきっかけに1858年にイギリスによって滅ぼされた。
(1)[ 1 ]の即位年代は,1658~1707年であるが,ゴロで「ヒンドゥーの色こわい,慣れないアウラングゼーブ」と覚えよう!!(2)イギリスでは,アウラングゼーブが死んだ1707年に[ 8. ]王国(グレートブリテン王国)が成立した。