III-27. ローマ教皇権の衰退(2)
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14世紀後半に起きた[ 1. ]によって教皇と教会の権威は失墜した。これに対して,教会の腐敗や堕落を批判し,改革しようとする動きもおこった。イギリスの[ 2. ]は,信仰のよりどころを[ 3. ]にのみ求め,[ 3 ]を英訳した。[ 4. ](ボヘミア)の[ 5. ]は[ 2 ]の説に共鳴し,教会の世俗化を批判した。神聖ローマ皇帝の提唱で[ 6. ]年から開かれた[ 7. ]公会議は,[ 2 ]と[ 5 ]を異端とし,[ 5 ]を火刑に処した。また,この公会議で,新教皇が選出されて教会が再統一されて,[ 1 ]は終わった。ベーメンでは,[ 5 ]の火刑後に彼の教説を信じる[ 5 ]派が蜂起し,[ 5 ]戦争が勃発した。
教科書では,「[ 7 ]公会議で[ 2 ]と[ 5 ]が異端とされ,[ 5 ]が火刑に処された」というように書いており,上の記述もそのようにしましたが,実は[ 2 ]も火刑に処されています。ただ,[ 2 ]は1384年に死んでいますので,「[ 2 ]も火刑に処された」と書くと,「何それ?」という疑問が出るのを恐れてでしょうが,教科書ではこのことには触れていません。中世の処刑は,命を奪うことが目的ではなく,その存在自体を消し去ることが目的ですから,[ 2 ]も墓が暴かれ,火刑に処されて灰がテムズ川に流されています。