IV-30. カール5世の苦難

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皇帝は,イタリアの支配をめぐって仏王とを戦っていた。[ 2 ]と同盟したオスマン帝国のが1526年にハンガリーに侵攻すると,[ 1 ]はいったんルター派を容認した。その後,1529年にルター派を再禁止すると,ルター派が抗議文を提出したことが語源となって,ルター派は「」と呼ばれるようになり,のちにこの語は新教徒全体を指すようになった。1529年に行われたオスマン帝国の[ 4 ]による包囲は失敗に終わったが,1530年にルター派諸侯・都市が同盟を結成して,[ 7 ]戦争にまで発展した。年にの宗教和議が成立して,諸侯がカトリックかルター派のいずれかを選択することが認められたが,個人の信仰の自由は認められなかった。
check_icon6ルター派諸侯は自領内の教会を支配して統制下に置く,を採用した。