IX-99. 16~17世紀の東アジアの状況(1)
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日本では,石見(いわみ)銀山などの主要銀山と,堺・長崎などの貿易港を掌握した豊臣秀吉が,日本を統一した。秀吉は,軍事力による東アジア交易体制の再編をねらい,朝鮮に対し服属と明出兵への先導を求めた。明の冊封を受けていた朝鮮がこれを拒否すると,秀吉は二度にわたって朝鮮に侵攻した。これを,日本では,[ 1. ]と呼び,朝鮮では[ 2. ]と呼ぶ。日本軍は,[ 3. ]率いる水軍の活躍や民間の義兵の抵抗に苦しめられ,さらに宗主国である明が援軍を送って反撃したため,秀吉の死とともに日本軍は撤退した。秀吉のこの朝鮮出兵は,朝鮮の国土を荒廃させただけでなく,戦費が大きな負担となって明の財政を悪化させた。明との関係が決定的に悪化し,公式貿易が困難となったため,豊臣氏にかわって政権を握った徳川家康は,認可を与えた[ 4. ]を台湾・マカオや東南アジアに渡航させて中国人商人と交易させた。