IX-91. モンゴル帝国の解体
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14世紀に入ると,世界的に寒冷化が進み,天候不順による穀物の不作と飢饉をもたらし,モンゴル支配下の各地においても,動揺が見られた。中央アジアの[ 1. ]国は,14世紀半ばに東西に分裂し,西[ 1 ]国の混乱に乗じて[ 2. ]が台頭,[ 3. ]国を征服し,イラン・イラクにまで領土を広げた。南ロシアの[ 4. ]国では,14世紀半ば頃から内紛で統一が揺らぐなか,[ 2 ]の侵攻によって弱体化した。1480年,[ 5. ]が[ 4 ]から独立し,16世紀初めに[ 4 ]は滅亡した。元は,チベット仏教(ラマ教)を熱狂的に信仰して財政を悪化させ,14世紀に入り貿易が縮小するとさらに財政が窮乏した。紙幣である[ 6. ]を乱発すると,経済が一層混乱した。商業を重視してきた元の政策に不満をもってきた農民は,白蓮教を中心とする[ 7. ]をはじめとする農民反乱を各地でおこし,元は明軍に追われてモンゴル高原に退いた。これ以降を,[ 8. ]というが,明を建国した[ 9. ]の攻撃で2代で滅んだ。
14世紀には,西ヨーロッパでも大きな変容がみられた(参照:III-38,III-39)。これらを合わせ,「14世紀の危機」ともいう。