IX-85. フビライの遠征

0 / 7 件の答えを表示中

元を建てた(世祖)は,即位前に雲南のを滅ぼし,チベットを服属させた。さらに,即位後に朝鮮のを服属させ,南宋を滅ぼした。その結果,元の領土は最大となり,モンゴル高原・中国本土・中国東北地方を直轄地とし,チベット・[ 3 ]を属国とした。[ 1 ]はその後も多くの遠征を行った。[ 1 ]は,ビルマへしばしば侵攻し,朝はのちに滅亡した。次の3つは失敗した遠征。(1)ベトナムへの侵攻は,により撃退された。(2)ジャワにも朝貢を求めて侵攻したが撃退され,その混乱のなかから王国が成立した。(3)日本に対しては,服属を迫って2度侵攻を試みた()。1274年の文永の役は元・[ 3 ]連合軍で,81年の弘安の役は元・[ 3 ]・旧南宋の連合軍で侵攻したが,鎌倉幕府の抵抗にあって敗退した。
check_icon6元の遠征は征服することが目的ではなく,もともと通商の拡大と交易路の確保が目的であったため,遠征後も元との通商関係は保たれた。日本についても,政府間の関係は開かれなかったが,民間の海上貿易は活発に行われた。