IX-68. 宋における国家財政の窮乏
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文治主義をとった宋は,対外的な軍事力の低下を招いた。宋は,侵入してきた北方諸民族に対して守勢に立ち,講和を結ぶ消極策をとった。モンゴル系の[ 1. ]とは,[ 2. ]年,宋が兄,[ 1 ]を弟とする[ 3. ]を結び,毎年莫大な絹と銀の歳幣を贈ることを約した。また,タングートの[ 4. ]とは1044年に,[ 4 ]が臣下の礼をとる代わりに,宋が毎年絹・銀・茶の歳賜(さいし)を贈ることを約した。軍事費の増大と,歳幣・歳賜の出費は宋の財政を圧迫し始めた。さらに,文治主義による官僚の増大と組織の肥大化は,国家財政の窮乏を深刻な状態へと追いやった。こうした状況下,第6代皇帝[ 5. ]は,[ 6. ]を宰相に登用し,改革(新法)を行った。
(1)宋では,唐代に一般民衆に広まった[ 7. ]を専売制とした。(2)歳賜とは目下に贈るもの,歳幣は同等のものに贈るもの。1142年の金との講和では,南宋が臣下の礼をとるため,歳貢という。