IX-25. 後漢

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年にを都として復興された後漢の政権の実態は,地方の有力者であるの連合体というものであり,中央に進出した[ 3 ]と,皇后の親族であるや,後宮に仕えた去勢された男性であるを巻き込んだ権力抗争が深まった。(166,169年)と呼ばれる[ 5 ]による官僚・学者の弾圧によって政治が混乱するなか,が始めたという宗教結社が年に起こした農民反乱であるをきっかけに,各地に群雄が割拠して年に後漢は滅亡した。
check_icon6(1)後漢を建てたは(日本人)の使者に「」の金印を与えた。中国皇帝と周辺諸国が,形式上の君臣関係で結ばれた国際秩序をと呼ぶ。この国際秩序において,周辺諸国は中国の皇帝に対し,使節を派遣して貢ぎ物を贈るを行う。(2)後漢のは西域を統治する官である西域都護として活躍した。[ 17 ]がローマ帝国()に派遣したはシリアまでいたった。(3)「こうきん」の乱は2つある。後漢末に起きたのが「黄巾」で,元末におきたのは「紅巾」である。