IX-134. 日本の動向
0 / 11 件の答えを表示中
西南日本では弥生時代から稲作技術が進み,前2~前1世紀頃に「[ 1. ]」と総称される小国家が形成された。その中の「奴国(なこく)」が後漢の建国者[ 2. ]に朝貢し,「[ 3. ]」の金印を与えられた。3世紀には邪馬台国の[ 4. ]が三国の[ 5. ]に朝貢し,「親魏倭王」の称号を与えられた。5世紀には倭国の王(倭の五王)が南朝にたびたび朝貢し,また朝鮮半島南西部にあった[ 6. ]や加耶(加羅)諸国と結んで朝鮮半島の抗争に介入した。半島南東部にあった[ 7. ]が6世紀半ばに加耶(加羅)を滅ぼし,さらに660年に唐と結んで[ 6 ]を滅ぼすと,日本は百済を支援して軍隊を送った。しかし,663年に唐と[ 7 ]連合軍に[ 8. ]で敗れて,朝鮮から撤退した。その後も日本は,唐に朝貢使節([ 9. ])を派遣したが,755年に勃発した[ 10. ]以降唐が衰退すると,894年に[ 9 ]は停止され,日本独自の[ 11. ]が形成された。