IX-112. 清朝の最盛期
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[ 1. ]の乱を鎮圧し,[ 2. ]を領有した第4代皇帝[ 3. ]は,[ 4. ](アムール川)方面に進出してきたロシアと戦い,[ 5. ]年に[ 6. ]条約を結び,[ 7. ]川と[ 8. ](スタノヴォイ山脈)を両国の国境とした。また,オイラト系の部族である[ 9. ]部と対決し,[ 3 ]は自ら遠征して外モンゴルを支配した。第5代皇帝[ 10. ]は軍事機密を保持する目的で[ 11. ]を設けるとともに,八旗制に改変を加えて君主(皇帝)独裁体制を整えた。対外的には,1727年にロシアと[ 12. ]条約を結び,モンゴル方面の国境を画定し,交易場の設置などを決めた。第6代皇帝[ 13. ]は,[ 9 ]部を滅ぼして東トルキスタン全域を占領し,これを「[ 14. ]」(新しい領土)と名付けた。[ 13 ]のもと,18世紀半ばに清朝の領域は最大に達したが,これが今日の中国の領土の原型をなしている。第4代皇帝[ 3 ]から第6代皇帝[ 13 ]までが清の最盛期である。
(1)イギリスでは,[ 5 ]年に[ 15. ]が制定された。(2)[ 11 ]はのちに政治の最高決定機関となった。(3)モンゴル・青海・チベット・[ 14 ]は[ 16. ]とされ,理藩院によって統轄された。