IX-111. 清の版図拡大
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清が長城以南の華北に入ることに協力した[ 1. ]を初めとする3人の漢人武将は,南方の雲南・広東・福建に封じられ,[ 2. ]となった(三藩)。しかし,清の第4代皇帝[ 3. ]が三藩の撤廃をはかると,[ 1 ]らは三藩の乱を1673年に起こしたが,[ 3 ]に鎮圧された。一方,東シナ海域では鄭氏一族が日明間の中継貿易を握っていたが,明が滅びると,[ 4. ]が[ 5. ]人を駆逐して1661年に[ 6. ]を占領し,ここを拠点に清に抵抗した。これに対して,[ 3 ]は民間貿易を禁じる[ 7. ]を強め,さらに沿岸部の住民を海岸線から離れた地へ強制移住させる遷界令をしいて,鄭氏の活動を抑制した。1683年,鄭氏は[ 3 ]にくだり,台湾が清の版図に加えられた。その後,清は1684年に[ 7 ]を解除し,広州や上海などに税関である海関を設置し,民間貿易を認める開放策に転じた。しかし,この貿易は朝貢貿易の立場はとっていないが,自由な貿易ではない。第6代皇帝[ 8. ]は,1757年に貿易港を[ 9. ]一港に限定し,[ 10. ]という特権商人組合に貿易を管理させた。貿易を恩恵であるとみなす中華の立場は一貫して維持しているのである。貿易をめぐる問題は,18世紀末,イギリスとの衝突を生む。
[ 4 ]は鄭芝竜と日本人との間に生まれた。また,異名を,[ 11. ]という。