IX-101. 明の混乱と滅亡
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16世紀後半に明は,北方からの[ 1. ]の攻撃と南の後期倭寇による危機([ 2. ])にさらされた上,豊臣秀吉による朝鮮出兵時には朝鮮に援軍を送る必要があった。さらに17世紀前半にかけては,[ 3. ]を統合してヌルハチが建てた[ 4. ]の攻撃を受けた。これらに対処するため,軍事費は増大し,明は財政難に陥った。万暦帝時代の初期の16世紀後半,[ 5. ]は,検地や新たな税制([ 6. ])を全国的に施行するなど,中央集権的に財政を立て直そうとした。しかし,独裁的な[ 5 ]の中央集権的改革は,地方の有力者である[ 7. ]層の反発を買った。その後,[ 5 ]に追われた[ 8. ]が建てた[ 9. ]書院に集まった開明派の[ 7 ]たち([ 9 ]派)と,宦官勢力と結んだ非[ 9 ]派の党争により政治は混乱した。明の政治が混乱するなか,重税と天災によって各地に反乱が起こるなか,[ 10. ]の乱で北京を占領され,1644年に明は滅亡した。
[ 7 ]は,科挙の合格者や退職した官僚経験者で郷里に居住する有力者を指す。