VIII-11. ヨーロッパの分断(2)
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1948年,東西対立はベルリンで先鋭化した。米・英・仏が占領区域で西ドイツ政府を樹立することを前提に,ソ連の反対を無視して西ドイツ占領区域における単独の[ 1. ]を行うと,ソ連は米・英・仏が管理していた西ベルリンへの水陸の交通路を遮断した([ 2. ])。西側3国が物資を空輸することで対抗し,ソ連は翌49年に封鎖を解除した。同年,ボンを暫定的首都とする[ 3. ](西ドイツ)と,東ベルリンを首都とする[ 4. ](東ドイツ)が成立して,ドイツは東西に分断された。[ 3 ](西ドイツ)は,キリスト教民主同盟の[ 5. ]首相のもと,54年の[ 6. ]で主権を回復し,再軍備とNATO加盟が認められて西側の一員となった。
[ 3 ](西ドイツ)は,ドイツ統一が達成された場合に,首都をベルリンに遷しやすいように,首都としてはふさわしくないボンを暫定的首都と定めた。1990年のドイツ統一後,首都はベルリンに遷された。