XII-7. 第2次アヘン戦争
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アヘン戦争後も,欧米諸国の中国への輸出は期待していたほどは伸びず,また外交関係においても清は朝貢意識をもったままであった。このような状況に不満を持つイギリスは,条約改定の機会をうかがっていた。1856年,広州でイギリス船籍を主張する船の中国人船員が海賊容疑で逮捕されるという[ 1. ]号事件がおきた。イギリスはこれを口実として,広西でおきた[ 2. ]事件で清に抗議していたフランスを誘って,清と開戦した([ 1 ]戦争,第2次[ 3. ]戦争)。英仏軍は[ 4. ]を占領し,1858年に[ 4 ]条約を結んだ。しかし,批准交換に来た英仏使節の[ 5. ]入京を清軍が武力で阻止したことを機に,ふたたび戦端が開かれた。英仏軍は[ 5 ]を占領し,離宮である[ 6. ]を略奪・破壊し,1860年に[ 5 ]条約を結んだ。
(1)[ 1 ]号のイギリス船籍の期限は実際には切れており,イギリスはそれを隠して開戦した。(2)[ 6 ]を設計したのは,イエズス会宣教師[ 7. ]である。なお,[ 6 ]は再建されることなく,現在でも破壊されたままの姿をさらしている。