XII-22. 革命運動の進展
0 / 11 件の答えを表示中
清朝政府は海外留学を勧める政策をとり,特に日本には多くの留学生が集まった。彼らは西欧や日本の実情に触れて,清朝の政治体制を批判するようになり,革命運動に接近する者が多く現れた。資金面において,革命運動の後ろ盾となったのは,海外に移住した[ 1. ]であった。広東(カントン)出身の[ 2. ]は,1894年に[ 3. ]で[ 1 ]を中心に[ 4. ]を結成し,広東省で清朝打倒の武装蜂起を起こしたが,いずれも失敗した。その後,[ 2 ]は革命諸団体の結集を図り,1905年に日本の[ 5. ]で[ 6. ]を組織した。[ 6 ]は,清王朝の打倒をめざす[ 7. ],共和国の建設をめざす[ 8. ],貧富の差の抑制をめざす[ 9. ]の3つを柱とする[ 10. ]を掲げて,武装蜂起を試みたが,いずれも失敗した。清朝打倒をめざす[ 6 ]は,戊戌の政変で日本に亡命した[ 11. ]らの立憲君主政をめざす党派と対立し,[ 1 ]や留学生の支持を得ようと争った。
[ 4 ]が結成された1894年という年は,日清戦争勃発と同じである。また,[ 6 ]が結成された1905年は,日露戦争で日本が事実上勝利した年であるが,[ 6 ]の結成は日露戦争に刺激されたものでもある。