XII-20. 義和団事件

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列強による中国進出は,農村部においてもそれまでの秩序を維持しようとする動きを引き起こした。の講和である天津・北京条約でキリスト教布教が公認され,内地にも教会が建てられるようになると,教会・信徒と農村社会の伝統的慣習が対立し,反キリスト教運動である運動がおこった。山東では,白蓮教の流れをくむ宗教結社で,農村の自衛団でもあるが「」を唱え,袁世凱(えんせいがい)の鎮圧を逃れつつ,教会や鉄道・電信などを破壊しながら天津・北京に入り,外国人を攻撃した。これを好機ととらえたらの保守派は,列強に宣戦を布告した。列強か国は共同出兵に踏み切り,北京を占領して在留外国人を救出した。これを[ 3 ]事件または[ 3 ]戦争(1900~01)という。敗れた清は,1901年に[ 6 ]か国を含む11か国と(辛丑(しんちゅう)和約)を締結し,4億5千万両(テール)の賠償金の支払いと,外国軍隊のなどを認めた。
check_icon6(1)太平天国と,[ 3 ]のスローガンの違いに注意。太平天国は,「清(満州)を滅ぼし,漢人の王朝を建てる」=「滅満興漢」。[ 3 ]は,「清朝を扶(たす)け,西洋を滅ぼす」=[ 4 ]。(2)[ 1 ]戦争の講和である天津・北京条約で認められたのは外国公使の北京駐在,[ 7 ]では外国軍隊の北京駐屯である。混同しないように。(3)アメリカもイギリスも[ 3 ]事件に出兵したが,アメリカは(1899~1902),イギリスは(1899~1902)中であったため両国とも大量派兵できず,共同出兵は日本とロシアが中心であった。