XII-19. 戊戌の変法
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1860年代から行われてきた,体制変革はせずに西洋の科学技術のみを利用しようとする[ 1. ]は,日清戦争の敗北によって挫折した。そのため,若手官僚や知識人の間には,中国の伝統的専制体制の変革をめざし,日本の明治維新をモデルとした立憲君主政を樹立しようという動きがあった。この動きを[ 2. ]運動([ 2 ]自強)といい,その中心となったのが,公羊(くよう)学派の儒学者である[ 3. ]であった。1898年,第11代皇帝[ 4. ]は[ 3 ]・梁啓超を登用し,国会開設や憲法制定による政治改革を推し進めようとした([ 5. ]の[ 2 ])。しかし,改革に反対する保守派が[ 6. ]と結んでクーデタを起こし([ 5 ]の政変),3カ月余りで改革を終結させた。クーデタにより,[ 6 ]を中心とした保守派が政権を握り,[ 4 ]は幽閉され,[ 3 ]・梁啓超は日本に亡命した。