XII-14. 冊封体制の崩壊
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1883・84年の2度に及ぶフエ(ユエ)条約によってフランスがベトナムを保護国としたのに対し,宗主権を主張する清朝は,これを認めず1884年に[ 1. ]戦争が勃発した。敗北した清は,85年に[ 2. ]条約を結び,ベトナムに対する宗主権を放棄した。朝鮮で1894年に[ 3. ]戦争(東学党の乱)が起こると,日本・清両軍が出兵して,[ 4. ]戦争が勃発した。敗北した清は,翌95年に結ばれた[ 5. ]条約で,(1)朝鮮の完全独立を認めた上で冊封・朝貢などを廃止し,(2)日本へ[ 6. ]半島・[ 7. ]・[ 8. ]諸島を割譲,(3)日本への賠償金2億両(テール)の支払い,(4)日本に対し西欧列強と同等の通商上の特権を付与することなどを約した。[ 1 ]戦争でベトナムに対する宗主権を,また[ 4 ]戦争で朝鮮に対する宗主権を失ったことで,清は冊封関係にある主な国を失った。この意味において[ 4 ]戦争は,中国の諸王朝が漢代以降築き上げてきた冊封体制を最終的に崩壊させたという意義を持つ。これ以降,東アジアは中国を頂点とする冊封体制のくびきから解き放たれ,西欧諸国が16世紀以降形成してきた主権国家体制という国際秩序へ移行することとなった。
1885年には,もう一つ別の[ 2 ]条約が結ばれた。朝鮮で,清からの独立をめざす開化派が1884年に起こした[ 9. ]では,日清両軍が朝鮮に出兵した。これに対し,日清両国が85年に結んだのも,[ 2 ]条約である。