XII-12. 太平天国の鎮圧
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太平天国に応じるように,各地で反乱が起きた。貴州では苗(ミャオ)族が,雲南や陝西(せんせい)・甘粛(かんしゅく)ではムスリムの漢人である回民(かいみん)が蜂起し,安徽では塩の密売人などのアウトロー集団からなる[ 1. ]が反乱を起こした。これらの反乱を鎮圧したのは[ 2. ]・緑営という清の正規軍ではなく,地方の有力者が自衛のために武装した団練や,漢人官僚が郷里で組織した義勇軍である[ 3. ]であった。[ 4. ]率いる湖南省の[ 5. ],[ 4 ]の幕僚だった[ 6. ]率いる安徽省の[ 7. ]などがその代表である。欧米列強は1856~60年の[ 8. ]戦争後に清朝擁護に転じたが,アメリカ人[ 9. ]が組織し,[ 9 ]戦死後にイギリス軍人[ 10. ]が指揮した[ 11. ]が清軍に協力した。太平天国は内紛で混乱したのち,1864年に都の[ 12. ]が陥落して滅亡し,そのほかの反乱も1870年代には鎮圧された。
[ 10 ]は,クリミア戦争(1853~56)や[ 8 ]戦争に従軍したのち,太平天国鎮圧に貢献した。その後,1881年にスーダンで起きた[ 13. ]の反乱鎮圧に派遣されたが,1885年にハルツームで戦死した。