XIII-9. カージャール朝の成立

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18世紀前半に朝が滅亡したのちのイランでは,アフガン人やトルコ系騎馬遊牧民が抗争する混乱が続いたが,1796年にを首都とする朝がおこった。[ 3 ]朝は,黒海とカスピ海にはさまれたをめぐる戦いでロシアに敗れ,1828年の条約で,ロシアに治外法権を認め,関税自主権を失うとともに,東部を割譲した。その後,[ 3 ]朝は北西部における失地を回復するためにロシアの支援を受けてアフガニスタンへの侵攻を繰り返した。しかし,ロシアの南下を恐れるイギリスの参戦を招き,イギリスがアフガニスタンを保護国化し,イランへも干渉するようになった。こうして,[ 3 ]朝イランはイギリスとロシアの勢力争いの場となった。
check_icon61796年に中国では,白蓮教徒の乱が勃発した。ゴロで,カージャール朝にかけて「火事や盗難苦労,白蓮教徒の乱」と覚えよう!!