XIII-7. オスマン帝国の解体
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[ 1. ]側に立って第一次世界大戦に参戦して敗北したオスマン帝国は,戦後に解体へと向かった。1919年にギリシア軍が小アジア西部の[ 2. ]を占領した。1920年に締結された[ 3. ]でオスマン帝国は,ギリシアに[ 2 ]を奪われ,さらにアラブ地域を喪失した。その後,アラブ地域のうちシリア・レバノンは[ 4. ]の[ 5. ],イラク・トランスヨルダン・パレスチナは[ 6. ]の[ 5 ]とされた。また[ 3 ]は,トルコの関税自主権を制限し,治外法権を認める不平等条約であった。このため,トルコにとって屈辱的な[ 3 ]はトルコ革命を引き起こす要因となり,革命で成立したトルコ新政権は1923年に連合国と[ 7. ]を結び直すこととなった。
(1)アラブ地域については,大戦中の1916年に結ばれた英仏露の秘密協定である[ 8. ]で勢力範囲が話し合われており,戦後の国境の画定にも影響を与えている(参照:VI-42)。(2)[ 3 ]で認められた治外法権は,16世紀後半のスルタンであるセリム2世が与えた[ 9. ]に基づくものである。(3)[ 3 ]では,現在のトルコ・イラク・イランなどが接する地域に住んでいる[ 10. ]人の自治が認められたが,[ 7 ]では撤回された。