XIII-5. 青年トルコ革命
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ロシア=トルコ(露土)戦争を口実に[ 1. ]憲法を停止した[ 2. ]は,[ 3. ]が唱えた,イスラーム教徒の団結を求める[ 4. ]を利用して体制の維持を図った。これに対し,宗教・民族に関わりなく帝国内の人々は平等であるとするオスマン主義の立場をとる知識人は,自らを「[ 5. ]」と称し,1889年に「[ 6. ]」を結成してスルタンの専制政治を批判した。日露戦争で立憲政の日本が専制政治のロシアに勝利し,またイランで立憲革命が起きると,[ 6 ]は青年将校と結んで[ 7. ]年に政権を握った([ 8. ])。[ 2 ]は[ 1 ]憲法を復活させたが,翌年起こった反革命クーデタに関与した疑いで[ 6 ]によって廃位された。しかし,新政権がトルコ民族主義を掲げて帝国内のトルコ人の団結を求めたため,帝国内の非トルコ系民族の反発を招いた。
(1)[ 4 ]は,1881年に英仏によるエジプト支配に抵抗したエジプトの[ 9. ]や,イランの[ 10. ]などに影響を与えた。(2)[ 8 ]の混乱に乗じて,[ 11. ]がオスマン帝国から独立し,オーストリアは[ 12. ]を併合した(参照:VI-35)。