XIII-4. オスマン帝国の改革(2)
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1839年,[ 1. ]は[ 2. ]勅令を発布し,司法・行政・財政・軍事にわたる本格的な西欧化政策である[ 3. ](恩恵改革)を開始した。この改革によって,宗教の別を問わない法的平等が認められ,法治主義に基づく近代国家へと体制が改められた。しかし,日本の明治維新のような経済改革は行われず,ヨーロッパ工業製品の流入が進み,伝統的な手工業は崩壊し,外国資本に従属するようになった。1853~56年の[ 4. ]戦争後に立憲政の要求が高まると,1876年に宰相[ 5. ]=パシャが起草した,アジアで最初の憲法である[ 5 ]憲法が発布された。しかし,1877年に[ 6. ]戦争が勃発すると,これを口実にスルタンの[ 7. ]は議会を閉鎖し,1878年には憲法も停止して専制政治を復活させた。
[ 1 ]と[ 3 ],[ 7 ]と[ 5 ]憲法の組合せの覚え方。アブデュルは同じで,時代順に1世,2世。「タンジマート」には「メジト」の2文字が含まれる。「ミドハト」には「ハミト」の3文字が含まれる。