XIII-31. 中東和平への動き
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1991年の[ 1. ]でイラクの[ 2. ]大統領は,戦争の図式を「キリスト教・ユダヤ教vsイスラーム」に転換させようと,[ 1 ]には関わっていなかったイスラエルをミサイルで攻撃した。アメリカの説得もあってイスラエルはこのときは動かなかったが,これはアメリカにパレスチナ問題の解決の必要性を認識させた。[ 1 ]を戦った共和党の[ 3. ]大統領はソ連の[ 4. ]大統領に呼びかけ,1991年にスペインのマドリードで中東和平会議が開催された。しかし,この会議では[ 5. ](PLO)が代表と認められなかったこともあり,具体的な成果はなく終わった。しかしその過程で,イスラエルと[ 5 ](PLO)がノルウェーで秘密交渉を行い,1993年に[ 6. ]大統領の仲介のもとワシントンで[ 5 ](PLO)の[ 7. ]議長とイスラエルの[ 8. ]首相が[ 9. ]に調印した。この協定はノルウェーでの秘密交渉がもとになっているのでオスロ合意ともいうが,[ 5 ](PLO)とイスラエルが相互承認し,[ 10. ]とイェリコにおける[ 5 ](PLO)による5年間の暫定自治が取り決められた。
1994年にイスラエル=ヨルダン平和条約が結ばれ,ヨルダンが1979年の[ 11. ]に続いた。