XIII-3. オスマン帝国の改革(1)
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オスマン帝国では18世紀以降,[ 1. ]といわれる地方の有力者が徴税請負などを通じて自立化して分権化が進んだ。さらに,バルカン半島のセルビアやギリシアやエジプトがオスマン帝国からの自立をめざした。こうした状況下,オスマン帝国でも改革の必要性が認識されるようになった。セリム3世(位1789~1807)は「新秩序(ニザーム=ジェデッィト)」とよばれる新軍隊を創設したが,それまでの常備軍団であった[ 2. ]軍団や保守派官僚の反対に遭って退位し,のちに殺された。マフムト2世(位1808~39)は改革に反対していた[ 2 ]軍団を廃止し,西欧式常備軍の創設,行政制度の改革などを行った。
1517年に[ 3. ]朝を滅ぼしたのは,セリム1世。スレイマン1世の子で,フランスの商人に居住・通商の自由や治外法権などを認める通商特権([ 4. ])を与えたのはセリム2世。また,1453年にコンスタンティノープルを陥落させ,ビザンツ帝国を滅亡させたのは,[ 5. ]。似ているので,整理しておこう!!