XIII-27. 中東諸国の分裂
0 / 6 件の答えを表示中
[ 1. ]朝イランでは,1951年,民族運動の高まりのなか[ 2. ]首相が石油国有化法を施行して,イギリス系のアングロ=イラニアン石油会社の資産を接収した。しかし,53年,国際石油資本に支援された国王[ 3. ]はクーデタによって[ 2 ]を追放してアメリカとの関係を強化した。一方,アラブ諸国では,56年に起きた[ 4. ]後にアラブ民族主義が高揚した。58年,エジプトとシリアが連合してアラブ連合共和国が成立したが,エジプト主導にシリアが反発して離脱し,61年に解消した。同年,イラクでも革命が勃発して王政が廃止されてイラク共和国となり,新政府は社会主義政策を進めた。こうして中東諸国は,イランやサウジアラビアの親米派と,エジプト・シリア・イラクの親ソ派とに分かれて対立する一方,アメリカが多額の経済・軍事援助を行っていたイスラエルとの緊張関係も続いていた。
1958年のイラク革命の結果,イラクが中東の集団安全保障機構である[ 5. ](中東条約機構,METO)から脱退したため,59年に[ 6. ](CENTO)と改称された。