XIII-11. イラン立憲革命

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1891~92年におきた以降,イラン人としての民族意識が高まり,ウラマーと民衆が提携して専制に抵抗するようになった。年に日露戦争が勃発すると,ロシアからの輸入量が激減して物価が高騰した。商人を罰することで政府がこれを乗り切ろうとしたことが逆に反感を買い,専制を批判する立憲運動がおこった。この運動には,日露戦争も影響した。それまでイランに圧力をかけ続けた専制国家のロシアが立憲政の日本に敗れたため,立憲運動は力強く展開された。1906年に国民議会が開かれ,07年にフランス人権宣言などの影響を受けた憲法が制定されたが,その後,改革を求める立憲派と保守派が対立した。同07年,イギリスとロシアは,イラン北部をロシアの勢力範囲,南東部をイギリスの勢力範囲とするを結び,イラン立憲革命を牽制した。1911年,ロシア軍が直接介入し,議会が解散され,イラン立憲革命は挫折した。