XIV-8. イギリスによる分割統治
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イギリスはヒンドゥー教徒とムスリムの宗教的対立を利用して民族運動を分断させようとして,1905年に[ 1. ]州をムスリムの州とヒンドゥー教徒の州に分ける[ 1 ]分割令を発表した。これに対し,[ 2. ]は1906年に[ 3. ]で大会を開き,イギリス製品不買(英貨排斥)・[ 4. ](国産品愛用)・[ 5. ](自治獲得)・[ 6. ]の4綱領を採択し,反英運動が燃え上がった。この結果,1911年に[ 1 ]分割令は撤回された。この過程の中で,[ 1 ]分割令でムスリムが多数派の州が成立する利点をイギリスがムスリムに対して説いた影響もあって,ムスリムはイギリスの支援のもと[ 7. ]を結成し,ヒンドゥー教徒主体の[ 2 ]に対抗した。[ 7 ]は結成当初は対英協調路線をとっていたが,1911年に[ 1 ]分割令が撤回され,さらに第一次大戦でイギリスがイスラーム教国のオスマン帝国と戦うようになると,反英化していった。
[ 2 ]の[ 3 ]大会は,日露戦争(1904~05)における日本の勝利に刺激・影響を受けている。