XIV-25. ベトナム戦争(2)
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1965年に本格的に軍事介入したアメリカに対し,北ベトナム([ 1. ])と[ 2. ]はソ連と中華人民共和国の援助を受けて抵抗したので,予想に反し戦争は長期化した。アメリカ兵の死傷者が増加するなか,アメリカ国内ではベトナム反戦運動が高まり,財政悪化も招いた。68年1月,[ 2 ]側が行った大規模な奇襲攻撃(テト攻勢)に衝撃を受けたアメリカの[ 3. ]民主党大統領は北爆を停止し,パリで北ベトナム([ 1 ])と和平交渉に入った。次の[ 4. ]共和党大統領は,北ベトナム([ 1 ])の支援国の一つである中華人民共和国を72年に訪問して米中接近を図るなど,米軍撤退への環境を整えていった。73年,[ 5. ]が成立し,米軍はベトナムから撤退した。しかしその後も,アメリカの援助を受けた南ベトナム([ 6. ])と北ベトナム([ 1 ])・[ 2 ]との戦いは続き,75年に南ベトナム([ 6 ])の首都[ 7. ](現ホー=チ=ミン市)が陥落し,翌76年に南北を統一した[ 8. ]が成立した。
テトとは旧正月のこと。テト攻勢では[ 7 ]にあるアメリカ大使館も一時占拠され,アメリカの威信は失墜した。この攻勢の際に撮られた[ 2 ]兵士を処刑する衝撃的な映像によって反戦運動は活発化した。