XIV-20. ベトナムにおける反仏闘争
0 / 8 件の答えを表示中
1904年に[ 1. ]は,[ 2. ]を組織し,フランスからの独立と立憲君主政の樹立をめざす運動を展開した。日露戦争で日本が勝利すると,[ 1 ]は日本へ留学生を送って日本に学ぼうとする[ 3. ]を組織した。しかし,1907年に日仏協約が結ばれると,フランス政府の要請に応じ,日本政府による取り締まりが強化され,[ 3 ]は挫折した。日本を追放された[ 1 ]は中国の広東で[ 4. ]を組織し,反仏武装蜂起を計画したが成功しなかった。一方,ドンキン義塾を設立したファン=チュー=チンは,フランスと協力してベトナムを近代化させようとしたが,植民地政府によって逮捕され弾圧された。1925年に[ 5. ]が結成した[ 6. ]は,1930年に[ 7. ]へと発展した。
[ 7 ]は,当初ベトナム共産党として発足したが,コミンテルンの指示でラオス・カンボジアも含めた形に改められた。しかし,オランダ領東インドが[ 8. ]という一つの国民国家となろうとしたのとは異なり,第二次世界大戦後の1951年に国ごとの共産党に分かれた。[ 7 ]はベトナム人中心に運営されたため,カンボジア人の民族的反感を招き,ベトナム戦争後のベトナムとカンボジアの対立の伏線となったとされる。