XIV-18. ベトナムの植民地化

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による第二帝政下のフランスは,越南国(ベトナム)がキリスト教を禁じ,宣教師を殺害したことを口実にスペインと共同で出兵し,1862年に結んだ第1次サイゴン条約でベトナムの南部にあるコーチシナ東部を獲得するとともに,キリスト教布教の自由を認めさせた。その後コーチシナ西部にも進出したフランスは,1874年の第2次サイゴン条約でコーチシナ西部を正式に割譲させるとともにベトナム北部の利権を獲得した。条約締結後も[ 2 ]はが率いる太平天国の残存勢力であると結んで反抗したため,フランスは1883年に首都のを占領し,83・84年の2回に及ぶ[ 5 ]条約でベトナムを保護国とした。一方,ベトナムに対する宗主権を主張する清朝は派兵し,清仏戦争が起きた(1884~85)。この戦争はフランスの勝利に終わり,85年に結ばれたで清は宗主権を放棄して,ベトナムに対するフランスの保護権を認めた。
check_icon6(1)[ 2 ]を建てた(嘉隆帝)はフランス人宣教師の援助を受けていたが,[ 7 ](嘉隆帝)のあとの皇帝が中国風の支配体制を採用したため,キリスト教を禁じた。(2)サイゴンは,現在のホー=チ=ミン市である。(3)1884年に朝鮮で起きたに関して日本と清が1885年に結んだ条約も[ 6 ]である(参照:XII-53)。同じ年に内容が異なる二つの[ 6 ]が結ばれていることに注意!!